俺の『勘』が、AIに負けた日

氏名:鈴木 健一(すずき けんいち)
年齢:52歳
仕事:機械メーカー・営業部(部長)
家族:妻(48歳)、長女(22歳・社会人)、長男(20歳・大学生)
状況: 営業一筋30年。「契約は足で稼ぐもの」という昭和の価値観で成果を上げてきた生粋の営業マン。人情と根性を武器に、顧客との強い信頼関係を築くことに絶対の自信を持つ。しかし、その自信が時に「思い込み」となり、顧客の真のニーズを見過ごしていることに、まだ気づいていない。

揺ぎない自信と、聞こえない声

「社長、先日はゴルフお見事でした!いやー、あの勝負強さには敵いませんよ!」

B社の社長室に、俺の快活な声が響く。社長とはもう20年来の付き合いだ。仕事の話の前に、まずは雑談で懐に飛び込む。これが俺のスタイルであり、30年間磨き上げてきた「人間力」という名の武器だった。

俺の名前は鈴木健一、52歳。この会社で営業の道を歩んできた。顧客の懐に飛び込み、酒を酌交わし、家族同然の付き合いをすることで築き上げてきた信頼関係こそが、俺の営業のすべてだ。AIだのデータだの、最近の若手が口にする小賢しいテクニックなど、本物の信頼の前では無力だと固く信じていた。

今日の目的は、年に一度の大型契約の更新だ。もはや、形式だけのもの。俺と社長の仲なのだから、断られるはずがない。

「それで社長、例の件ですが、今年も去年同様のプランで問題ございませんよね?」 「うーん、そうだな…。鈴木くん、実は最近、現場の若手から『もっとシンプルな操作性のものはないか』という声が上がっていてね。多機能なのはありがたいんだが、うちの若い連中がどうも使いこなせていないみたいで…」

社長が少しだけ曇った表情でこぼした。俺は、それをいつもの「交渉前のジャブ」だと勘違いした。

「社長、ご心配なく!そこは、私が責任をもって御社の若手にみっちり研修させていただきますよ!それに、今回ご提案するプランBなら、価格も5%お安くなります!」

俺は得意のコストメリットを前面に押し出した。長年の経験から、経営者である社長が最も喜ぶのは「価格」だと、俺の「勘」が告げていたからだ。社長はそれ以上何も言わず、「まあ、前向きに検討しておくよ」とだけ言って、その日の商談は終わった。

(よし、完璧だ)

オフィスへの帰り道、俺は契約更新を確信していた。社長の些細な懸念は、俺の熱意と価格交渉で吹き飛ばした。これぞ、経験と人間力のなせる業だ。

一本の電話と、冷徹な「AI分析レポート」

しかし、数日後に社長からかかってきた電話の内容は、俺の自信を根底から覆すものだった。

「鈴木くん、すまない。今回の契約更新だが、一度白紙に戻させてくれないか」

言葉を失った。白紙だと? 何かの間違いではないのか。俺は、電話口でうろたえることしかできなかった。

重い足取りでオフィスに戻ると、若手のエース、佐藤が深刻な顔で近づいてきた。

「部長、B社の件、耳にしました。…実は、先日の商談、失礼かとは思ったのですが、ICレコーダーを回させてもらっていました。言いにくいのですが、部長の思い込みが原因かもしれません」

佐藤はそう言うと、俺にタブレットを手渡した。画面には、**【AIによる商談分析レポート】**と題された、無機質なテキストとグラフが表示されていた。

「これは…?」 「先日の商談を、AIで文字起こしして、要点と会話の傾向を分析させたものです」

俺は、食い入るように画面を見た。そこには、俺が目を背けてきた「事実」が、冷徹に記されていた。


【AIによる商談分析レポート:B社様 契約更新】

1. 商談サマリー

  • B社社長の主要な懸念点: 現場の若手社員から上がっている「操作の簡便性」と「作業時間の短縮」が最重要課題。
  • 鈴木部長の主な提案内容: 従来からの強みである「価格競争力」と「コスト削減メリット」を主軸に提案。

2. 論点のギャップ分析

  • 結論: B社側の**「業務効率化による生産性向上」という本質的なニーズと、鈴木部長の「コスト削減」**という提案の間に、深刻な認識のギャップが発生している可能性が高い。
  • 補足: B社社長は5回にわたり「効率化」や「簡便性」に関連するキーワードを発言したが、その都度、鈴木部長の「価格」に関する提案によって会話が本題から逸れている。

3. 主要キーワード頻度

  • 鈴木部長: 「価格」「コスト」「安い」「値下げ」(計15回)
  • B社社長: 「若手」「現場」「シンプル」「簡単」「時間」(計12回)

レポートを読み終えたとき、俺は言葉を失っていた。AIは、俺の会話の癖、そして、俺がいかに社長の話を聞いていなかったかを、数字とロジックで完璧に暴き出していた。

関係性にあぐらをかき、相手の話を聞いているつもりで、全く聞いていなかった。俺が「人間力」だと思い込んでいたものは、ただの独りよがりな「思い込み」に過ぎなかったのだ。

俺の30年間のプライドが、AIが突きつけた冷徹な「事実」の前に、音を立てて崩れ落ちた。

AIは、俺の「パートナー」になった

その日の夜、俺は初めて佐藤に頭を下げた。

「このAIツール、俺にも使い方を教えてくれ」

プライドよりも、顧客の信頼を失う恐怖の方が、はるかに大きかった。

俺は、AIが可視化してくれた社長の「真のニーズ」――つまり、「現場の若手が直感的に使え、作業時間を短縮できるシンプルな機能」――を基に、提案内容をゼロから作り直した。そして、B社に再提案のアポイントを取り付けた。

今度の俺は、以前とは違う。冒頭の雑談もそこそこに、単刀直入に切り出した。

「社長、先日は大変失礼いたしました。私が、御社の現場の声を何も理解しておりませんでした。価格の話は忘れてください。御社の若手の皆さんが、本当に求めているのはこちらのはずです」

俺が差し出したのは、機能を絞ったシンプルなプランと、導入後の手厚いサポート体制を明記した新しい提案書だった。社長は、驚いたように目を見開き、そして、深く頷いた。

「鈴木くん、よくぞ我々の本音をわかってくれた。それだよ、我々が本当に欲しかったのは」

契約は無事に更新され、しかも、手厚いサポートプランが評価され、結果的に以前よりも大きな契約となった。

オフィスに戻ると、佐藤が「やりましたね!」と笑顔で迎えてくれた。

AIは、俺の仕事を奪う敵ではなかった。俺の経験と勘というエンジンに、正確な方向を示してくれる最新鋭のカーナビであり、相手の心の声をクリアに聞かせてくれる最高の「パートナー」だったのだ。

今では、俺が部下にAIツールの活用法を教えている。

「いいか、相手を思う気持ちは大事だ。だがな、思い込みはただのノイズだ。この相棒(AI)を使って、ノイズを取り払い、顧客の本当の声を聴け。それが、これからの時代の『人間力』だ」

30年かけて培った俺の勘は、最高の相棒を手に入れたことで、ようやく本物の「武器」になった。俺は、もう迷わない。顧客の声と共に、この変化の激しい市場を、胸を張って進んでいく。


本ストーリーで利用したAIを学ぶ
  • AI活用リスト No.1: 商談の要約 + 評価 + 分析
    • 内容: 営業担当者が顧客との商談を録音し、AIが自動で要約を行う。要約に加え、商談評価、キーワード分析、ネクストアクションを提案してくれる。
    • 事例: 担当者が自身の思い込みや記憶に頼らず、商談内容を客観的にテキストデータで振り返ることが可能になる。AIが会話の論点のズレや顧客が多用するキーワードを分析・可視化することで、顧客の真のニーズに基づいた的確な提案を行い、失注リスクを低減し、顧客満足度を向上させる。

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